空は青く澄み渡っているが、時折吹き付ける風は、肌に心地良いというには冷た過ぎる。
この国の短い暖季を彩った淡いピンクや黄色の小さな花々は、そのほとんどが枯れてしまい、町のはずれに群生する広葉樹も、裸になった枝を空しく風に泳がせている。
それを横目に一年中すらりと立ち通しているのがスギ科やヒノキ科の針葉樹であり、この国で最もメジャーな植物でもある。メイン通りの街路樹である彼らは、いつもより活気のあるこの町を、いつもと変わらぬ姿で見下ろしていた。
この国、スノゥウィ・プレシャストーン(雪におおわれた貴石)ことオパール王国は、国土のほとんどが万年雪に覆われている、レジェンアース大陸最北端の国である。しかしここ、王都イングラードでは、一年の四分の一の期間に、花咲き緑広がる「春」を望むことが出来る。
人々の待ち望んだ春。
その束の間の春も、また長い別れを告げようとしていた。
「ヘイ、らっしゃい。今朝採れたばかりの新鮮な卵はどうだい? ウチのはエサが違うから、よそん所のにゃ負けないぞ〜!」
「お花、お花はいかがかしら? もう町では枯れてしまったアイリスや北の町で仕入れた今年一番のスノードロップはいかがかしら?」
まだ午前中であると言うのに、市場は活気に満ち、そこここに明るい声がこだましていた。中には「目玉商品売り切れ」の札がかかっている店もある。人々は、そう、この町の住民に加え、この日のために他の町村や国からやってきた商人や貴族や庶民たちも皆、日頃の苦しい現実から離れたかのように、それぞれの時間を楽しんでいた。
「魚〜、魚はいらんかね〜。今日はタラとサケにいいのが入ってるよ! 北の海の贈り物だ。晩のおかずに是非ウチの魚を。こっから遠いとこの奴は土産に塩漬けのものも買ってってくんな!」
近くでまた明るい商人の声が聞こえた。
イングラードでは、長い「冬月」の終わりと、大陸暦十月にあたる「秋月」の始まりに、数日間に渡る定期市が開催される。今日はその、「秋月」の定期市の最終日なのだ。
各国から集まる人々、そして品々。
普段、外のものを目にする機会など持たない町の人々は、鮮やかな薄布やら、見たことも無い動物の置物に目を奪われ、歩を止めていた。奇抜な文様に思わず神妙な顔つきをする者や、値段の札を見てあきれる者も見られたが、皆市場の空気を楽しんでいるように思われた。中には買い物に失敗した者や、隙をついてスリでも働こうと企む者がいる、ということは否めないのだが。
そんな中、少年はとても憂鬱な気分であった。
別に、市場で損な買い物をしたわけでも、目当ての品が売り切れていたわけでもない。
しかし彼の足取りは重く、顔には半ば諦めめいたやるせなさが浮かんでいた。
はあ。
明るく活気に満ち溢れたこの市場を見つめて、今日何度目かの溜息をついた。道行く人は皆、思い思いに一年に二度のこの大イベントに入り浸っていた為、気がついた者などいなかったが。
少年の、僅かに外はねの短いこげ茶の髪と、中肉中背のその姿は、この国のどこにでも見受けられるものであった。顔も一般的な少年顔、といった所だが、「この国の短い春の、深い氷解の海のようだ」と形容された事がある、真っ直ぐな群青色の瞳をもっていた。古めかしい布服の下にちらりと覗く青色の詰襟は、オパール王国少年騎士団こと、青騎士団のものだ。
「お嬢ちゃん、貴族だろう? いつもお世話になってるから、ホラ、甘い蜜たっぷりのリンゴ。とっても美味しいぞ」
少年は顔を上げた。
「え、あ、ありがとうおじさん」
前を行く少女――長いオレンジみの金髪を白い大きなリボンで一つに結わいた、自分と同じような古い布服に身を包んでいる――は、少しあわてながらもちゃっかりリンゴを受け取っている。
全身を古布に包んでも、市場の活気ある庶民的な空気に溶け込まないその顔立ちには、まだ幼さを残しているとはいえ、どこか気品が漂っている。
そして、少年の気苦労はまさしくこの少女のためであった。
「セリカ様、あまり店をジロジロ見てはいけません。変なものをつかまされたらどうするのですか? それにもうそろそろ戻らないと、またイゾルテ様のお叱りを受けますよ?」
後ろから声をかけてみる。あくまで小声だが、お叱りのところは強調しておいた。
するとセリカと呼ばれた少女は、少年の方を振り返ると、片目を瞑って自信たっぷりに言った。
「大丈夫よ。今日はアリーシャに『私は頭痛で寝込んでいる』って言ってもらうことになってるから」
(その大丈夫に何度苦労させられたことか……)
心中でそう呟きつつ、明らかに疑わしいという目で自分を見つめる少年に、何が言いたいかわかっているにもかかわらず「何?」と片眉を上げて聞き返す少女。
「いえいえ、何でもありません」
観念したようにそう答えるのは、そうすることが彼女の最善の扱い方だと知っているからである。少年は、少女が機嫌を損ねるとどうなるかを、身をもって知っていた。
「そう、ならいいわ。」
言い置いて再び歩き出した少女の足取りは、貰ったリンゴのために少し軽やかだった。
冷たい風が、人ごみや雑多な商品の陳列する市場を、物ともせずに駆け抜ける。
少年は、笑顔で前を行く少女の後を、仕方なくついて行く事にした。