アベルとセリカが、兵士の宿舎のアルバートとアベルの部屋に着くと、夕食時間が後半であったアルバートも既に部屋に戻ってきていた。
四人用のテーブルの上にはランプ、壁には玄関側と窓際に一本ずつろうそくがしつらえられており、それぞれ穏やかな灯りをともしている。殺風景なこの部屋も、それらの炎の作り出す影の揺らめきにより、昼間よりも趣があり、ロマンティックに感じられる、とはセリカの毎度の感想である。
アルバートはテーブルの窓側の席、つまり彼の定位置に座っており、部屋を訪れたセリカに微笑とともに挨拶をすると、二人に正面に座るように言った。特にこれと言った世話ばなしや社交辞令ごとを重ねないのは、アベルと同様、アルバートもセリカとの間をてるような壁を作っていないからである。
「さて。アベル、お前はさっきビクトール閣下から“神の遺産”という言葉を聞いたと言っていたな」
二人の着席もすぐ後、アルバートが切り出した。
「はい。……と言っても本人から直接聞かされたわけではなくて、野次馬に紛れて見物に言った時に、怒りに任せて叫んだことを聞き逃さなかった、ってだけなんだけど」
「まあ、それは分かる。ビクトール閣下がお前のような一介の少年兵士に直接秘密を打ち明けようなどとは到底思えんからな」
「そうよそうよ、あいつってばなんかえばっちゃって本当にムカツクんだから〜!」
アルバートの相槌にセリカが便乗した。それに対し、アベルが続ける。
「だけど、ビクトール様が感情に流されている時に嘘をつけるとも思えないんだ。さっき話したとおり、僕らはあの方と国王様が密かに話しているのを立ち聞きしてしまったから、あの時必死に取り返そうとしていた箱の中に国を動かすほど大切なものが入っていることは、確実なんだ。でも、それが神の遺産なんて言ったら――」
「神の遺産なんて言ったらきっと誰も信じてくれないし、そうしたら国王名義で交渉したビクトールが一人得をすることになるし! その秘宝が本物でクロムハイムの皇帝が何か良からぬ事を考えていたら大変なことになるし! そうよ、そもそも秘宝が本当に存在していたら、それだけで十分大変なことなんだからー!!」
「セ、セリカ様、少し落ち着いてください、声のボリュームも下げてっ」
意気込むセリカをアベルがたしなめるが、更に二人をアルバートが冷静に制した。
「そうか。さっきのお前の話で大方話が掴めたが、なるほど」
「え、と言うと?」
アルバートはアベルとセリカと順に見交わした後、落ち着いた口調で言った。
「交渉の品が本物の“神の遺産”であったなら、我々が召集された時の閣下のあの慌てようにも納得がいく。私はその後騎士団長として個人的に謁見の間で陛下のお傍につくよう命を受けたのだが、その際陛下にお教えいただいた事件の概略でも、交渉物が何かについては触れられなかった。流石に閣下も全てを陛下に打ち明けてお出でだろうから、秘宝の存在を陛下が信じておられるかどうかは知る由もないとは言え、交渉物が何かを知った上でそれを隠し、万が一の時には混乱が起こらぬよう取り計られたのだろう」
アベルは、神話の世界の伝説物について語っているにもかかわらずアルバートの表情が硬い事から、彼が確信を持って神の遺産を肯定する者なのだと悟った。そして、紡ぎ出される冷静な言葉からは察することができないが、きっと尊敬する陛下を裏切ったビクトールに対する怒りを内に押し込めているのだろう、とも思った。
隣にいるセリカが不安と怒りを同居させたような表情で言った。
「ちょっと待って、それってもしかして、このままいけば国王名義を勝手に使ったビクトールが一人得をして、万が一のことが起こったらお父様が、ううん、“国”が損をするってことなの!?」
アルバートが眉根を寄せ、息を深く吐きつつ返した。
「あまり考えたくはないですが、そういう可能性も捨て切れませんな」
「そんな……!」
セリカは不安を押しのけて支配力を強める怒りに、身を震わせた。
アベルはそんな彼女をどうすることも出来ない情けない気持ちで見つめていた。
視線の端で、机や壁に映った影が、些細な動きにも大袈裟に反応している。
嫌な沈黙の後、アルバートが目下で揺らめくランプの炎を薄く睨みつけながら、ゆっくりと話し始めた。
「アベルは覚えているようだが……ああ、急に話が変わるように感じるだろうが、少し聞いていて欲しい。そう、私には秘宝に詳しい友人がいたんだ」
昔を懐かしむように口元に薄い笑みを浮かべてそう言った彼の瞳は、どこか悲しそうにも見える。
アベルは黙って頷き、父の方をそっと伺うが、視線は合わなかった。
「そいつはいつも言っていた、『秘宝はいつの世においても争いの元にしかならないから、決して集めてはならない』とな。最初はそんなものあるわけがない、熱心に語るだけ無駄だ、などと笑い飛ばしていたが、あいつの目は、まるで本物の神の遺産を身近に見たとでも言わんばかりに真剣そのものだった。だから私は彼を信じた。彼も私と……もう一人の友人を信じてくれたからな。――遠く我々の知らぬ世界で、我々の想像も及ばぬ人生を生きてきた男だった」
視線の先の炎の中に、懐かしき日々を見出しているのだろうか、アルバートはしばしそのまま言葉を止めた。そして一息つくと、不安げな表情を浮かべるアベルとセリカにおもむろに視線を向け、真剣な声音で告げた。
「まさかこの様な形でそれを聞くことになるとは思わなかったが、あいつは確かに言ったんだ。『この国のどこかに秘宝がある』とな」
「ええ、じゃあやっぱりさっきの交渉の品って!」
「ビクトール閣下がどのように情報を掴んだのかは分かりかねるが、まず間違いないだろう」
「そうか……凄い!」
二人は、幼い時より信じ続けてきた伝説に一歩近づけたことから感に堪えない、と嘆息したが、その当然のような反応を見たアルバートは、彼らに語り聞かせるように言った。
「セリカ様、それにお前のことだ。昔、伝説の神の秘宝の話をした時には、本当に楽しそうな顔で、目を輝かせて『絶対探しに行くんだ!』と言っていたからな。さっき神の遺産、と言ったときのお前も、あの時と同じ目をしていた。……もしもそれが実在するのなら、探しに行きたいと今でも思っているのだろう?」
アベルははっとなってアルバートの目を見つめ返した。隣のセリカもアベルと考えは同じであったらしく、胸元で握った手に力がこもった。
アルバートが続ける。
「しかし、今二人に集まってもらっているのは、秘宝の存否を伝えるため――と言っても、何か確証を示せるわけでもないのだが、そのためではない。秘宝を探したいと思う心、つまりそれを生み出した秘宝の伝説があるだけで、この世界に生きた、そしてこれから生きるだろう人々が、どれだけ動かされてしまうのかを考えてもらいたかったからなのだよ。
秘宝は友人にとって使命であり、命そのものだった――彼は自分の命をかけても秘宝によって生じる犠牲をなくすために旅をしていると言っていた。そのために世界各地に散らばっているという秘宝を調べていたらしい。だから、それを探そうなどとは考えないでほしいんだ。それを、みすみすアベルに! い、いや、私の愛する二人に探して欲しくはないんだ……頼む!」
そこまで言うと、彼は二人に向かって頭を深く下げた。荒げた言葉の語尾には、切実な思惟が含まれているように感じられた。前髪に隠れた表情がどのようなものであるかを想像するのは、無意識のうちに拒まれた。
アベルは父が自分に頭を下げねばならない日が来る事など、考えたことさえなかった。
普段はひょうきんでさえある父が、威厳に満ちた誇らしい父が、あのような悲痛な声で訴えかけねばならない程、秘宝に関する重要な過去があるなんて。
恰幅のよい父のたくましい肩が、こんなにも小さく見えるなんて――。
そのまま目前の父の姿を様々な思案と共に見つめつつ、アベルは言葉を発することが出来ずにいた。
すると、その時まで黙って真剣な面持ちで話を聞いていたセリカが、突然ポツリと呟いた。
「……いけないわ」
「え?」
アベルとアルバートは、はっとしてセリカの方に一斉に顔を向けた。
次の瞬間、勢い込んで椅子を後ろへ滑らせつつ立ち上がり、テーブルをバンと叩いて叫んだ。
「このままではいけないわ! 秘宝は現実に探されて集められようとしているのよ! お友だちが命に代えてまで世間から守ろうとしてきたものが、危うく争いを連れてくるところだったんだから、そんなものを放っておくわけにはいかないじゃない! 私、秘宝を返してもらうわ! その意志を継ぐのが、お友だちのためにも、世界の平和のためにも大切だと思うもの!」
一瞬呆気に取られてしまった父子であったが、アルバートが冷静になろうと努めつつも、隠し切れなかった焦燥のためいつにない早口で意見した。
「セリカ様はお分かりになっていただけないのですかな!? お気持ちはとても嬉しく思いますが、王女であるあなたが秘宝を返していただけるよう持ちかけようとしようものなら、国家間の約束事を違えた我が国は、間違えなく不利な状況へと進むことになりましょう。こちらがこのまま行動を起こさなければ、クロムハイムとの国を挟んだ衝突はひとまず回避することができるでしょうし、クロムハイム一国が全力で秘宝を探したとしても、他が動かなければ、それを巡った戦争が生じることはないでしょう!」
「そうですよ、姫様! 僕たちは秘宝について甘く、そう、伝説の便利なアイテムくらいにしか考えていなかったのです! こういう理解で探そうとする人が絶えないから、争いだって絶えなかったのですよ!」
アルバートに続いてアベルも必死にセリカに意見した。しかし。
「でも、私が王女じゃなければいいんじゃない?」
「ど、どういうことですか?」
「要するに、これが国家間の問題にならなければいいんでしょ?」
「――へ?」
真顔でただならぬ事を言う予感を漂わせるセリカを見て、アベルは間抜けな声をあげた。
「つまり、どうすると?」
アベルとアルバートが息を凝らした。セリカのオパールグリーンの瞳が、ランプの明かりに照らされたともつかず、輝いた。
「そうよ、私が個人的に秘宝を集めればいいんだわ! 七つあるっていう秘宝は全部揃わないと願いが叶わないんだから、百歩譲って一つだけでも探し出して、それを誰にも見つからないところに隠してしまえばいいのよ……いいえ、やっぱり全てそろえて、平和な世の中を願えばいいんだわ! だって、お友だちの望みは世界中の皆が秘宝を探す事を辞めることなんだから、この世界がそれに頼らなくてもいいものだったら、その必要はなくなるもの!!」
セリカは赤い気焔をあげた。息を継ぐ間もなく、この国の真冬の吹雪のように激しく表情と意見を変え、とんでもない結論を導き出した。
主のあまりの無鉄砲な意見にアベルは、何て無茶なことを言い出すんですかあなたは、などと叱咤といさめの言葉を投げかけようと思ったが、文字通り開いた口がふさがらず、言葉として外に出すことが出来なかった。
アルバートも同様に、決意に勇んだ彼女の情熱にしばし呆気に取られていたが、しばらくすると、焦燥のうちに忘れかけていた冷静さを取り戻したらしく、ふうと一息をついた。その表情は、普段のそれであった。
「参りましたよ、姫様。父子二代揃って、どうもあなたには勝てないらしい」
「え、それじゃあっ!」
今まで眉尻を上げ口をキツく結んで決意に満ちた様子を浮かべていたセリカの顔が、一瞬にして期待に満ちたものへと変化した。
しかしながら、そんな二人のやり取りを見て、アベルは穏やかならぬ面持ちでバッと立ち上がり、その拍子に後方でゴドッという音を立てて引っくり返った椅子のことを気にも留めずに、捲くし立てた。
「父さんまで何を言ってるんだよ、そんなにあっさり懐柔されて! 大体姫は剣も扱えないし、都の外にだってほとんど出たことがない! そんな危険なことを、こんなところで、しかも一つ返事の安請け合いで決めようとするなんてどうかしてるよ! しかも王の許可も無しに王女が旅に出たり、一般人として他国に交渉を持ちかける方が、よほど国も混乱するさ! セリカ様、あなたも聞いていらっしゃいますか!?」
普段が温厚な分だけ、主のこととなると反動として感情が優先して我を忘れてしまうことがある。
セリカは一瞬ビクッと体を強張らせたが、覗き込んだ群青色の瞳からアベルの自分への思いやりを感じ取ったらしく、渋々と閉口した。
そしてアルバートもまたアベルを見やり、そしてセリカに視線を戻してから、口元に笑みを浮かべて言った。
「勿論陛下のお許しが出なければ、国外に出ることを我慢していただくほかないさ。しかも、旅先ではおいそれと身分を明かすような危険は冒してはならないし、かと言って一市民が上層部に継いでもらえるはずもないから、どこかで王の御名をお借りせねばならない時も来るはずだ。その時には己人判断で公を持ち出すことや、むやみやたらとそれを語ることは絶対に避けなければならない。姫様は、それらを念頭に抱き続ける事が出来ると、自信を持って陛下に申告することが出来ますか?」
「もちろんよ、絶対大丈夫!」
アルバートは自信と決意に溢れたセリカを見て満足げに頷くと、まだ不満を表しているアベルに視線を移して続けた。
「危険なのは重々承知の上だ。勿論最終的に判断を下すのは陛下であって、今この様なことをお前に言うのさえ杞憂というものかもしれないが……この先にはどの様な困難が待ち受けているかは分からない。しかし姫を、いかなる不安や恐怖からも責任と親愛の情を持ってお守りすると覚悟があるのなら、お前も共に付き添うことを申し入れなさい」
「えっ」
アベルの瞳が動いた。
「セリカ様のことだ、今ここで反対しても後で一人で抜け出されてしまうかもしれない。それよりは、旅立った後にお前が終始お傍に仕えて、最善の方法でまた無事にこの地を踏む方が都合が良いとは思わないか?」
アルバートはそう締めくくって真剣にアベルを見つめた。彼の投げかけた言葉に反応してセリカがエヘッと舌を出したが、アベルはそれにはもう気づかず、ただ父親の心の声を、瞳から読み取って反芻した。
そう、アルバートはアベルにセリカの守護という使命を与えることで、彼を一人前と認めたのだ。アベルは、父が自分に寄せた期待と信頼の気持ちが胸に迫るのを感じ、新たにな気持ちでセリカに向き直り、そしていつもの微笑で彼女に接した。
「騎士の誓いをたてようにも、国王様の許可をいただかないことには始まりませんものね。今日は早く休んで、翌朝、食後に王の部屋をお訪ねしましょう」
我ながらこういう気持ちの整理の早い所はセリカにそっくりだと内心で苦笑しつつも、一度決断してしまうと、胸のつかえがすっと無くなったかのように、新しい目標を直視することが出来るようになるのだった。
アベルの提案にセリカが同意しつつ、アルバートが満足げに頷いた。そして、口が過ぎただとか、申し訳ないだとか、ありがとうだとかの言葉を互いにぶつけ合うと、セリカを部屋まで送るために、アベルは椅子を直して居間を出ようとした。
しかし。
「ねえ、そう言えば侵入者の男の子はどうなったのかしら? 今回の件には直接関係なさそうだけど、秘宝を“父ちゃんの形見”〜なんて言うって事は、やっぱり彼がビクトールの悪事とどこかで繋がっているって事よね?」
と、セリカがふと少年の事を思い出し、部屋に帰る前に地下牢へ寄りたい、と持ち出した。しかも、意外にもその話題を一番気にかけたのはアルバートで、彼は侵入者が少年だということと、ビクトールが神の遺産と呼んだものを父の形見と言ったことを告げられると、自分も後で是非会ってみたいものだと言った。
かくしてアベルとセリカは、地下牢へと向かうのだった。