アベルとセリカは人目を避けつつ――とはいっても、大量に抱え込んだ荷物のせいで、十分目立つのだが――城への帰路を急いだ。
大通りに続く正門や、荷物の搬入などに用いられる裏門には、当然のように見張りがいる。そのため、王族であるセリカが、それらを使って私用で町に出ることは、まず出来ない。セリカのお忍び外出は、少年騎士の友人アベルとレオンの二人しか知らない、愛用の抜け穴を通って行われる。正門の真裏に当たる、裏庭側の城壁に、人一人通れるだけの穴が、壁を覆う草木の陰に隠れて、こっそりと空いているのだ。
アベルとセリカは、その抜け穴を通って城の敷地内に入り、いつもの様に茂みから中の様子を伺った。春に美しい花々を咲き誇らせた、城の裏庭である。
しかし、彼らがそこで目にした光景は、予想を裏切るものであった。普段なら、庭師や、数名の貴族がいるかいないかという裏庭には、非常事態が容易に予想され得る程、多くの巡回兵の姿があった。
一瞬その数の多さにたじろぎ、そのまま草木の間に息を潜めていた二人であったが、数分の後に意を決し、目立たないよう壁伝いに屋敷へ向かって走り出した。
途中幾人かの兵士がこちらに気づいたようだったが、すぐに目線を外したところから察して、今回のお尋ね者は、どうやら自分たちではないことを悟った。
次いで、裏口からセリカの部屋へ向かう途中の廊下でも、普段と異なる光景を目の当たりにする。普段、この時間帯には必ずいるはずの貴族や小間使いや騎士見習いの少年の姿が、どこにも見当たらないのだ。
二人は、何事があったのかと怪訝に思ったが、お忍びで出掛けたことを考えると、とりあえず部屋に落ち着かねばならない、と歩を進めた。
セリカの部屋には鍵がかかっていた。部屋の主セリカ以外で鍵をかけられるのは、身の回りの世話をしてくれる侍女のみであり、それは、今この部屋に誰もいないであろうことを示していた。侍女のアリーシャは、セリカが遊びに出ていて、自分が部屋にいるときには、鍵をかけないようにしているからだ。
「どうしたのかしら? アリーシャがこの時間に外に出ているなんて……」
普段の彼女なら、午前中に出来る仕事を済ませた後、セリカの帰りを読書や裁縫などをしながら待っている。王族も朝、昼食は部屋で摂るため、付き人は主人の都合に合わせて、いつでもその準備が出来るよう、部屋で待機していなければならない。
「あまりにも帰りが遅かったので、心配して外に探しに行ったのかもしれませんよ? でなければ、例のお叱りを受けに……」
「や、やーねっ! 今日は絶対バレてないから大丈夫よ! きっとお腹が空いたから、食事をしに行っているのよっ! ささ、早く入りましょ」
アベルの冷めた目線から逃げるためか、セリカは早口にまくし立てると、ガチャリと鍵を外しドアを開けた。すると、案の定、アリーシャは中にいなかった。
アベルは、「やはりお呼ばれしているのでは」と、セリカに説教を始めようと考えていたが、ふと出かけた言葉を呑み込んだ。普段以上に気を張った外出だったため、安堵と疲れの波がどっと押し寄せて来たのだ。今まで運んできたセリカの荷物を、部屋の隅にある白い飾りレースの掛かったソファー置き、一旦自室へ戻ることにした。勿論、後でたっぷりとお小言を言うつもりではいる。
「では僕は一度戻りますから、大人しく部屋で待機していてくださいね。アリーシャが帰ってきたら、ちゃんと謝らないと駄目ですよ?」
「ハイハイ、子どもじゃないんだから、言われなくても分かってるわよっ。じゃね、アベル。今日はアリガトっ!」
アベルは主人の「またお願いね〜」の言葉を背中に受けて苦笑しつつ、部屋を後にしようとドアノブに手をかけた。と、その時、
コンコン……
外からノックが聞こえた。
「はい」とアベルが顔を出すと、白い清潔そうなカーチフで頭を纏めた、侍女のオリーブの瞳と視線が合った。セリカ直属の侍女である、アリーシャだ。しかし、目下にいる彼女の、いつも優しげな双眸には、明らかに不安の色が滲んでいた。
「アベルさん! まあ、お帰りなさい。セリカ様も中にいらっしゃいますか?」
「ああ、それよりどうしたんだい?」
ドアを開けアリーシャを招き入れながら、アベルは逆に問いかけた。アリーシャは、軽く会釈して中へ入ると、すぐにドアを閉めるように促した。彼女はセリカの存在を奥のソファーに確認すると、心なしか安堵の表情を浮かべた。そして、不思議そうに自分を見つめるアベルとセリカに向かい、小声で話し始めた。
「……実は、城内に不審者が侵入したらしいのです。確か、門番の交代の時間を見計らって。先程、ほとんどの使用人が順に『白雪の間』に集められて、用心するように仰せつかってきたのです。侵入者は一人で、現在はどこに潜んでいるのか分からないそうですわ。ですから、王侯貴族には兵がつき、外出はなさらないよう伝えるとのことでした」
「なんだって!?」
「なんですって!?」
あまりに突然の言葉に、アベルとセリカは声を上げて驚いた。そして互いに顔を見合わせ、アリーシャに向き直った。アリーシャは胸の前で手を握り、不安気な表情のまま、軽く頷いた。
そんな、まさか。
アベルは彼女の告げた言葉を納得した上で、このような事態に不信感を覚えた。
城に、侵入者が……いる?
確かに侵入しようと思えば、不可能なことではない。丁度、先程の自分たちのように。
しかし、驚いたのはそのことについてではない。
「侵入者かぁ。最近平和だったから、なんだか信じられないわ。高官たちも皆を集めてしまうなんて、よっぽど驚いたのね」
セリカがポツリと漏らした。アリーシャが小さく頷いたが、アベルは表情を硬くすると「それは違うと思います」、と呟いた。二人の少女が彼に注目する。
この国は、平和である。
ここ数年、市民のクーデターが起こっていない。
ここ十数年、近隣の村でも反乱は起こっていない。
更にここ数十年は、大きな戦争など全くおこっていないのだ。
……それなのに。
「なぜここまで警戒しているのでしょうか? 今まで評議会が、たった一人の侵入者のために、この様な命令を下したことはありませんでした。我々は平和な生活に慣れてしまっていて、多少のいざこざでは、兵など派遣する必要は無いと考えているはずです。……これは少々大げさ過ぎるのではないでしょうか?」
「言われてみれば、確かにそうね。いつだったかしら、城壁に落書きをされた時も、酔っ払い集団が門番に殴りかかった時も、一部の兵士を現場に向かわせただけだったものね」
そう言って言葉をかみ締め、事の不審さに良からぬものを認め始める。しばしの沈黙後、再びアベルが発した。
「……なにやら不穏な動きを感じます。もしかすると、侵入者には大きな“狙い”があるのかもしれませんね。そして高官たちは、それが何だか知っている……。憶測ですが、もしも当たっているのなら、この一見大げさに思われる警戒にも説明がつきます」
そんな、とアリーシャが弱々しく呟く。それと同時に、セリカが勢いよく立ち上がった。そして、そのままドアに向かって突き進むセリカに、あからさまに嫌な予感を感じたアベルが、
「セリカ様、まさかとは思いますが――」
と言い終わらないうちに、
「そのまさかよ!」
セリカは言い放った。右手を肩の前で強く握り、左手を腰にあて、国と同じ名のオパールグリーンの瞳を、文字通りキラキラと輝かせながら。
「セリカ様、お止めくださいませ! どんなことであろうと、外出をさせてはならないとのご命令ですから! それにもし、万が一その侵入者が王族を狙った暗殺者だとしたら、取り返しのつかないことになってしまいますわ!」
「そうですよ! 僕でも太刀打ち出来ないような刺客だったら、どうするのですか! 侵入者を捕まえるのは、白騎士団の優秀な兵に任せて、あなたはここでじっとしていてください!」
「大丈夫よ! こんな昼間から暗殺なんて考える人間が活動するわけないじゃない。それに、侵入者を捕まえようなんて考えている訳じゃないのよ? ただ、高官たちの秘密を暴いてやりたいな〜って思っているだけだからっ」
いつになく声を荒げる二人に、セリカは再び力強く答えた。しかし、やはり正面きって理由を尋ねるわけにもいかないので、
「こっそり」
と付け足した。要するに盗み聞きをしに行く、ということだ。昔からセリカはスパイごっこやかくれんぼなどが大好きで、よくどこかに忍び込んでは、アベルたちをハラハラさせたものだった。
「確かにセリカ様の“かくれんぼ”の才能は折紙付ですが……それとこれとは話が別です。評議会は、今や国の実権を握っています。どんなに疑わしい命令であっても、評議会の決定は絶対です。秘密を探りに来たことを知られたとなれば、王女のあなたであれ、どんな仕打ちをされるかわかりません」
アベルは、途中から声のトーンを落とし、しかし力を込めて言い放つと、セリカに一歩近づいて、更に小声で続けた。
「特に外務大臣のビクトール様や、司祭のサウザント様は危険だと思います。なんでも裏世界と通じているとかで、闇の取引も行っていると聞いたことがあります。現場を目撃した人がそれを知人に告げた翌日に行方が分からなくなってしまったそうですし……。まあ、それは噂に過ぎないのですが、それにしても危険が過ぎます」
するとアリーシャが、思い出したように顔を上げ、
「あのっ、広間に招集をかけられたのは、ビクトール様でした。ひどく焦っているご様子で、時折、まだみつからんのか、と周りの人間を怒鳴りつけてましたわ! そう言えば、他に評議会の方々はお見かけしておりません……」
と言った。アベルの話を聞き自分の見た風景と照らし合わせて、これまでの憶測に確信の兆しが見えてきた分、彼女の不安の色は深くなっている。
「アリーシャ……」
声をかけてみたが、自分たちとは無関係の場所で進んでいる出来事に、気休めの言葉は意味を成さない、とそこで止めた。
「……わかったわ」
いつになく覚悟を決めたようにセリカが言った。
「そうですか、わかっていただけましたか……」
アベルは、セリカに事の重大さが伝わったことに、安堵した。
しかし。
「犯人はビクトールね! よーし、今から全てを白状させてやるわ!」
「ん、な!?」
「!?」
予想もしない言葉が返ってきた。
アベルとアリーシャは、一瞬、驚きのあまり固まりかけたが、次の瞬間には、二人の合間を縫って足早にドアへと歩き出すセリカを、必死の形相で止めに入った。もとより併せ持った正義感と、行動力と、思い込みの激しさから、しばしば猪突猛進の行動をとるセリカを、驚愕と呆れの中にあって尚止めにかかる二人の精神は、ある意味彼女に匹敵する。
「二人とも、邪魔しないで!」
セリカは、右手で手前に引きかけたドアをアベルに押し戻され、後ろ手をアリーシャに引かれて、声を荒げた。
「セリカ様! 何を考えているのですか!? たった今、正面から聞き出せないことを納得された上で、こっそりと行くとおっしゃったのではないのですか? それに、ビクトール様は“犯人”ではありませんよ。と言うより犯人とは何ですか!?」
まさかセリカの関心が、侵入者からビクトールの悪名に移るとは予想していなかっただけに、アベルは焦りを隠せない。半ば自分でも理解できない文句をセリカにぶつけた。
「そこをどいて! もし不審者に入られたのが彼のせいだったら、どうするのよ! 本当のことを確かめないと!」
セリカは強気に反論し、アリーシャに掴まれた左手を振り払い、今度はノブを両手で握り、力を込めた。しかし、体重を乗せてドアを押すアベルに、か細い少女が力でかなうはずもない。
「邪魔しないでって言ってるでしょ! 私、行くんだから!」
「いいえ、行かせません! もう一度言いますが、今部屋を出ると、どのような危険が待っているかわからないのですよ!?」
「だからと言って、国で善からぬ事態が起ころうとしている時に、ここでじっとしているわけにはいかないでしょう!?」
アリーシャは二人の傍らではらはらしながら、そのやり取りを見守っている。こうなってしまっては、先にどちらかが折れるまで、この立場をとらざるを得ないのだ。
「どうして、自ら危険な場所に突っ込もうとするのですか!?」
自棄であったのかもしれない。アベルは、セリカという存在に抱く、最大の疑問をぶちまけた。
「そんなの、決まっているじゃない」
返ってきた言葉は、先程とは全く違った意味においてアベルとアリーシャを驚かせた。
「私はオパールの第二王女よ。国で起こっていることを知るのは、当然の権利ですもの!」
凛と響く力強い声と、真っ直ぐな瞳。二人はこれ以上彼女を説得しても意味がないことを、悟った。