■BACK 第1章 6 ■NEXT TOP
始まり 6

「これから、どうしますか?」
 誰もいなくなった廊下を見て、アベルがセリカに尋ねた。

「お前は――これから大切なご客人が参られる、謁見の間と今晩の寝床になるべく上等な部屋を用意するように、と伝えて参れ。約束の時間より大分早まったが、何としても間に合わせるのだぞ。おお、それに腕の立つ兵数人をこの部屋まで連れて来るのを忘れるでないぞ!!」
 ビクトールは自分の側近の兵にそう命令すると、流石に隠しきれないと悟った様子で王に向き直り、事の起こりを説明するために自室へ護衛の兵共々招きいれた。
 これはもはやビクトール一人の問題ではない。
 そんなやり取りを見た後に、廊下に残された二人はただただ愕然と数分の沈黙を守り、ようやくそう切り出すことが出来たのだった。
「クロムハイムって、言ってたわよね? 確か中立条約が結ばれてる……」
 アベルの言葉に正気を取り戻し、セリカは伝令の兵の口から出た意外な単語を口にした。歴史嫌いの彼女が覚えているほど、四十年近く前に結ばれたこの条約は有名であった。
「そうです。しかも、皇帝が自ら交渉を持ちかけるなんて……。“国の安全”と引き換えになるものとは、一体何なのでしょうか?」
 二人は考えた。
 だが、国家絡みでここまで慎重且つ秘密裏に扱うものに思い当たる節など何一つ見当たらない。そのようなものを今日まで目にしたことがないからだ。
 昔この国に逃げ込んだ外国の重罪人が都の近くで捕まるという事件が起こったらしいが、その時は国中に大混乱が巻き起こり、今回のような一部の混乱では済まなかったという。本来国家間における重大問題は、隠しておけるようなものではないのだ。
「やっぱりわからない……。でも私、今この国で何が起ころうとしているのか知りたい!」
 考えていても分からない、ならばその答えを探し求めなければならない。セリカの基本的な生き方が、彼女の瞳に好奇心を浮かべさせ、そのセリフを吐かせた。
 しかし頬には薄っすらと朱色が差し、額には汗が滲み、キッと結んだ口元に先程の余裕は見られない。そんな様子を見てアベルは困ったような顔をする。
「知りたい、という気持ちでは僕も同じです。しかし、もうお気づきのように……本当の意味で何が起きるかわからない危険な状態の中にあるのです。ここは一度部屋に戻るとして、後で国王様にお話を伺うべきです。じきにここにも兵が来るようですし」
 彼の場合好奇心よりも、セリカの身の安全と現実的な問題についての心配が強く働く。諭すように言うと、セリカも気持ちの上では納得したように控えめに意見した。
「ありがとう。アベルの言いたいことは、わかってる。でも、どうしても知りたいんだもの。あ、謁見の間なら中庭から覗くことが出来るんじゃないかしら?」
「セリカ様、兵が中庭にいないはずがないでしょう。近づくことすら出来はしませんよ」
「う……。じゃ、じゃあ変装して――あら?」
 アベルに駄目出しを食らったために新しい手段を考えていたセリカが急に押し黙った。
「セリカ様?」
 アベルが聞くと、
「し、静かに。……ほら、話し声が近づいて来るわ」
 と答えるセリカ。彼女に従って耳を澄ますと、確かに微かではあるが階下から声が聞こえてくる。
「どうしよう。今見つかっちゃたら絶対に連れ帰されちゃうわよね?」
 声と共に足音も聞こえてきた。ビクトールの要求通り、一人二人の数ではない。
「そうです、イゾルテ様の部屋をお借りしましょう」
「あ、アベルナイス!」
 言うが早いか、セリカは小走りで、しかも足音をたてずにイゾルテの部屋へと駆け出した。アベルも慌ててその後へと続く。

 イゾルテの部屋の扉を叩くと、数秒後に若い男の声で「どなたですか?」と返ってきた。
「私です、セリカです。お願いします、中に入れて下さい!」
 階上へと徐々に近づく声の主や周りの部屋で待機している人々に聞こえないよう、セリカは扉に額をつけて口調だけはっきりとさせて名乗った。すると扉が少しだけ開かれ、その隙間から覗く用心深い視線にぶつかった。
「おや、お二人ともお揃いで。さあ、とりあえず中へお入り下さい」
 アベルとセリカは、緊張を解し合うかのように顔を見合わせると、合図もなく同時にうなずいた。
 若い声の主はそこにあったのが馴染みの顔と認識すると警戒を解き、口調も柔らかく二人を招き入れた。眼鏡せいであろうか、落ち着いた知的な雰囲気を纏う彼は、白い詰襟に同色のマントを羽織り、それを国家の文様である雪の結晶入りのピンブローチで留めている。一見剣での戦闘とは無縁に思われる穏やかな物腰をしているが、王国正騎士のみが許されるその服装を見れば、彼が歴とした白騎士であることが分かる。
「どうしたのですか。外出は禁止、次の指示が出されるまで自室待機、ということは勿論ご存知ですよね?」
 彼は特に責めるでもなく、穏やかにそう尋ねてきた。質問の内容は他の巡回兵と大差ないが、気心の知れた彼は「まあ、いつものことですが」と軽く言うと、二人がこの部屋を訪ねたことに特に不審がる様子もなく奥の部屋への案内を始めた。
「イワンはやっぱり知らないのね……」
「何をですか?」
 イワンと呼ばれた白騎士の青年は、いつになく深刻そうなセリカの一言に間をおかず反応した。
「うん、あのね――あ、イゾルテ!」
 玄関のある細い廊下を抜けるとすぐ正面、つまり本棚が整然と並ぶ広い書斎の丁度真ん中に、いつも通り黙々と仕事をこなしているイゾルテを発見する。セリカが早足で近づくと、今まで真剣に書類か何かとにらめっこをしていたイゾルテは、顔を上げざま一瞬目を見開いた。
「おお、いつの間にお出ででしたのかな、セリカ様。ふむ、アベルまで」
 始めに口を出たのがそのセリフだということから察して、彼が驚いたのは先程までいなかった人物の出現に対してだろう。根っからの学者肌であるイゾルテは、仕事中に他の何者も入り込めない空間に一人で行ってしまうことなどしょっちゅうである。
「何用ですか、こんな時に。全く、非常事態となればすぐに部屋を抜け出す癖を、いい加減直していただきたいものですな。まあ無事でしたから良いようなものを……ああ、毎度毎度頭痛がいたします。頭痛といえば、確かセリカ様、今日は部屋でお休みになられていたのでは、なかったのですかな?」
 次にイゾルテの口から出たセリフは、アベルとセリカにはなんとも馴染みの深いものであった。ため息と共にうなだれ、頭を神経質そうに押さえつつ言う彼の言葉は、慣れてしまったためか少々芝居がかったものにすら見えてきてしまう。要するに、彼もまた二人の参上を特に気に留めてはいないのだ。
 アベルは、それを見て苦笑した。横にいるセリカは、手をヒラヒラとさせ、引きつっていた。
「ええ、今回は本当に。イゾルテ様からもよくおっしゃってください」
 普段の愚痴とはまた少し違った面持ちで、今回の部分を強調するアベル。そんなアベルに、イゾルテとイワンは何事かを察したようだった。真面目な面持ちで構え、アベルたちの次の言葉を待っている。
「イワン、さっき話を止めちゃったけど、二人に聞いてほしいことがあるの」
 セリカはそう言うと順に三人の顔を順に見回し、調子を整えるように大きく一度頷いた。それからここへやってきた経緯を、自分たちの考えと盗み聞いてしまった事実とを含めて話した。途中何度かアベルの注釈を加えながら。
「驚きましたな。まさかビクトール殿がそのような交渉を受けようとしていたとは」
 イゾルテがううむとうなりながら言った。しかしそうは言うものの、さほど驚いた様子は見られない。
「あの方が何かを探し求めている、というのは知人から聞いたことがあったのですが――なるほど。国家間の交渉に使えるようなものともなれば、熱心になるのも頷けますね」
 と、これはイワンのセリフ。やはり同じ地位にいるビクトールとイゾルテでは、噂ではなく真正の性質やら事柄やらを目の当たりにする機会があるのだろう。ビクトールと対象を限定して話している限り、彼らは何を言われてもさほど驚かないだろう、とアベルには感じられた。
「もう、二人ともちっとも驚かないんだから! 私なんてビクトールにどうやって正義の制裁を加えてやるかまで考えちゃったんだから!」
 一方の拳を強く握り、もう一方を腰にあてて頬を膨らませるセリカを見て、イゾルテとイワンは薄く笑みをこぼすが、すぐにまた真顔に戻った。
 イゾルテが、セリカのセリフに二、三度軽く頷きながらおもむろに続いた。
「そうでもありませんぞ、姫様。私も先程の『国を守りたい一心で』というのが、どうも気にかかってなりませぬ。いや、不安と言うよりは憤りすら感じます。隣国の中でも一番の軍事力を誇る帝国と平和な我が国が、交渉の結果次第で接触せざるを得ない状況にさらされてしまったのですか――」
 そこでセリカと視線を交わし、もともと多い眉間のシワを更に深く刻むと「失敬」と一言付け足して言葉をきった。
 軍事力。
 アベルは、二年前に起こった、当国の三つある隣国のうちの二つにあたる、クロムハイム帝国とロウラン国との戦を思い出してぞっとした。帝国は圧倒的な力の差で当時のロウラン王国を破ったのだ。当国一番の友好国であるロウランの敗北に都が震え上がったのは、記憶に新しい。
 隣にいる主を盗み見ると、下唇を噛み、イゾルテを真剣にみつめていた。彼女が先の戦の詳細を覚えているとは考えがたいが、さすがに帝国の実力は知っているようだ。
 改めて今回の件が国を挙げての重大事件に繋がると思い知り、アベルは無言で下を向いた。
 しかし、そんな重い空気を打ち破るように、イワンが穏やかに告げた。
「まあ、それは交渉が成立しなかった時のお話でしょう? ビクトール殿が交渉をお受けするとおっしゃっていたのなら、事は無事に運ぶはずです。それに侵入者がたった一人いたところで、この兵の導入状態を見れば結果は目に見えていますよ」
 そこまで言うと窓際まで歩を進め、窓の外を見下ろしながら言葉を続けた。
「セリカ様が説明して下さっている時に向かいの扉が数度開閉されたようなので、もうそろそろだと思ったのですが……ほら」
 イワンが暗い表情の二人を窓際へ手招きした。
 不思議に思った二人も、促されるままに窓から眼下を見下ろしてみると、その光景につい驚きの声を上げてしまった。
「あ、あれは……!」
「やはり丁度良かったみたいですね。普段なら外出されること自体肯定できるものではありませんが、今回こちらの部屋に来られたのは、正解だと思います」
 微笑みながら言うイワンの勧めた先には、セリカがどうにかして覗けないものかと唸っていた謁見の間と、その最奥にある玉座の方へと歩を進めてでいる異国の使者らしき人物数名を、望むことが出来た。



update : 2005 2/2 〜 2/21
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