■BACK 第1章 7 ■NEXT TOP
始まり 7

 イゾルテの部屋はセリカの部屋がある棟と向かい合う棟の二階、その中でも廊下を挟んだ中庭側に位置している。
 そして今三人の眼下には、棟と棟の間の空間こと中庭、そしてその半分を占める謁見の間と呼ばれる一階建てホールそのものが広がっていたのだ。

 謁見の間の最上部にある明り取り用のデザイン窓にはカーテンがかかっておらず、その僅かな透明部分はこちら側から覗くにも適さないが、光の具合であちらから外を見ることはまず出来ない。
 アベルとセリカはこの部屋の一番左側――謁見の間の玉座に一番近い側――の窓へと急いで移動し、再びその隙間の奥へと視線を馳せると、顔を残して全身を覆う黒のローブに身を包んだ四、五人の使者がホールの中心より玉座側で膝をつき頭を垂れ、そんな彼らに対しビクトールが大袈裟な程に腰を折っていた。
 目を凝らしても詳しく知ることは出来ないが、異国の使者の黒衣はそう重厚なものでなく、その上身一つで謁見の間にやってきたように思われた。先に客人の宿泊所に荷物を運んできたと考えることは出来るが、それならば一見見当たらない交渉の品は、そう、国家の安全を左右する程の品は、懐に納まってしまう大きさなのだろうか。アベルたちに一種の興奮の色が芽生えてきた。
 使者のうちの一人が他の者よりワンテンポ早く顔を上げた。ビクトールはその使者にターゲットを絞ったようで、彼の者に向かってヘコヘコと何度も頭を下げ始めた。傍目には権力者に媚びる滑稽な場面に映るかもしれないが、事情を知ってしまった者には必死に注意を自分に向けるための演出、と感じさせるだけの勢いをはらんでいた。いつの間にかにアベルとセリカの傍らへと寄り添っていたイワンとイゾルテも、その光景を眉根を上げて苦々しげに見つめている。ビクトールの意識が使者への礼の度に四方へ飛んでいたことは、窓から見下ろす四人には、頭の動きをもって十分に確信を得られたからだ。
「まだ捕まっていない侵入者は、必ずこの場に現れる。……相当焦っておいでですね」
 イワンが相槌を求めるでもなく呟いた。
 しかしそんな様子を醸し出すビクトールの態度にも、異国の使者が動じる様子は見られなかった。
 先程のリーダー格らしき者が立ち上がり、懐から巻物を取り出すと玉座の方向へと歩みだした。すかさずビクトールは腰も低々、使者に向かって恭しく両手を差し出したが、そんな彼には目もくれぬ様子で横を通り過ぎ――四人の傍観者の視界より消え去った。つまり、覗いている謁見の間の窓枠中に収まらない位置へと行ってしまったのだ。
「ちょっと、行っちゃったわよあの人! どういうことなの? 交渉するのはビクトールのはずよね?」
 セリカが大きな目をもっと見開いて言った。
「使者の向かった先は玉座……。そしてそこへ座することを許されているのは、国でただ一人、国王陛下のみです」
 イワンはそう言うとセリカに視線を向けて、残念ながら、と付け足した。
「……そうです、そもそもビクトール様が広間の最中奥にある玉座からこうも離れた、我々から見える位置にいること自体がおかしいのです。まるで国王様に近づけたくないとでも言いたいように」
 アベルも自分を納得させるように呟く。
 そんな周囲の様子を見、今まで黙っていたイゾルテが再確認するように、目下でおこっている現状を言葉で表した。
「どうやら相手は国王陛下、つまりビクトール殿個人ではなく、公に対し交渉を進めていたようですな。それを外務大臣という地位を使って、自身の判断で……陛下にも隠密に推し進めた、と」
   重々しくも冷静な言葉の終わりには、同僚としてだろうか、個人的な憤慨が込められていたように聞く者に感じさせた。
「まあ、先程ビクトール殿が陛下に真実を告げているでしょうから、その点に関しても問題は無いと思いますが……。『君臨すれども統治せず』、『王は国の象徴』とは偉大な先達もよく言ったものです。この様な時にだけ上手く王の名を語り、私欲を満たそうとなさる。ご立派なことですね」
 珍しく毒づくイワンに皆はっとして彼を注目するが、イゾルテが彼に向かって静かに首を横に振ると、困ったように微笑んで閉口した。アベルにはイワンのイゾルテを一瞥した姿が、少々悲しそうなものに映った。アベルには、そう、イワンと同じく平民の身分にある者としては、彼の微妙な気持ちがよく分かってしまうのだ。例え恩師であっても、守るべき対象であっても、潜在的に植えつけられた感情には消しきれないものも存在するのだから。
 そうこう話している間にも、交渉は順調に進んでいるようだった。次にアベルたちが覗き込んだ時には、使者がビクトールの前に片膝を落とし、先程彼がそうしたように両腕を差し出し頭を垂れていた。巻物がその手に見当たらないことからそちらを王に預けたことを見て取ることが出来た。
 ビクトールは使者を前にして、やはり大事そうにしまってあった小箱を懐からおずおずと取り出すと、何やら一人で話し始めたようだった。使者の頭が、両手の動きとは反比例して持ち上げられた。
 時間にすると数分といったところであろうが、ことの進展を望んでいる者からしてみれば、何も変化のない無音映像をじっと見つめているのは結構辛い作業であった。
 アベルは何とはなしに視線を他方へ泳がせていると、謁見の間の程近くに位置する常緑の低樹が微かに動いたことに気がついた。周囲を見るが、他に風の気配は感じられない。
 先程丁度セリカが覗き見を提案した場所にあたるだろうか。用心に越したことは無い、と皆に報告を決めたアベルであったが、一瞬の後にその必要は無くなった。
 低樹に潜んでいた人物が、アベルの発声より早くそこから躍り出様に何かを放ち、それは目前のガラス窓へと向かい、ガラスをぶち破り、いや、狙いはそれではないらしく、その先のビクトールを目指し、しかも狙いを射損じることなく彼の手元に直撃し、小箱を引っ掛け弧を描いて窓際へと舞い戻るそれを、近くにいた異国の使者より素早く掴み取ると、兵を避けつつ裏庭の方へと脱兎のごとく駆けていった。
 一連の動きに、無駄は無かった。
 人の気配を感じていたアベルでさえも目に映った光景が何を意味しているのか理解するまでに同等の時間を要したくらい、素晴らしく器用な職人技。
 どちらにしろ流れた時間は、一瞬の域であると言えるのだが。
 窓の外で同じく凍り付いていた中庭の兵士を溶かしたのは、これまた一瞬の後に飛び出してきた、他でもない事の当事者ビクトールの怒号であった。
「貴様ら、何をしておる!? とっととそ奴を捕まえるのだ! 何としてでも、命に代えても、取り逃すことは決して許されぬぞ!!」
 まさに鶴の一声。その憤怒の声で我に返った兵たちは、一斉に歓迎され得ぬ客を追って裏庭へと消えていった。
 中庭から兵の姿がなくなるまで続いたビクトールの断末魔の如き怒りと恐怖をたたえた絶叫は、はっきりとまではいかないものの、二階にいるアベルたちにも聞き取ることが出来た。
 セリカが身を乗り出そうと窓を開け放つと、やはりその声を聞き取ったらしい他の部屋の面々が窓を開け、身を乗り出したり、隣人と囁きあったりし始めた。
 そのまましばし無言で裏庭の方向を眺めていた四人であったが、セリカが突然何を思ったか傍らのアベルの肩に手を置き――何を思ったか分かってしまう自分が悲しいと、手を置かれた本人は思っているのだが――ひょいと片足を持ち上げて窓の桟に乗せ、アベルの肩に体重をかけてもう一方の足まで桟に乗せてしまうと、はためく白のロングスカートを気にも留めずに跳躍し、一息のうちに目の前の木の枝へと移っていた。
「姫様!! な、なんというはしたない、いえ危険なことを……!」
「ほう、これはまた大胆ですね」
 イゾルテとイワンが口にした言葉を最もだと思いつつも、アベルは今自らに課された役割は二人に同意することではないと告げる自我に従って、行動を開始した。枝から枝へと上手く飛び移って下り、あっという間に地上を行くセリカを追うために。
「突然、申し訳ありませんでした。以後このような……あ、セリカ様、待ってください! す、すみません、それでは後でまた! 失礼しました!」
 最後まで侘びの言葉を言うことは叶わなかったが、そんな中にあって礼をしてから窓の外へと飛び出していくアベルの姿は、急に静かになってしまった部屋に残された二人にとって、不謹慎と承知しつつも微笑ましいものであった。
 しかし、その微笑とて、彼の過ぎ去った後に長く残るものではなかった。



update : 2005 2/25 〜 3/2
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