「クロムハイムのお使いの人たちって随分とせっかちよね。まだ来たばかりだっていうのにもう帰ってしまうなんて。……雪国の夜は危険だって知らないのかしら?」
イゾルテの部屋を出てから間もなくのこと。
薄暗く長い廊下を自室まで送ってもらいながら、セリカが不思議だわ、という表情とともに隣を歩くアベルに話しかけた。
「用が済んだら長居は無用、ということでしょうか。クロムハイムの皇帝はあまり気が長くないと言う噂もあることですし――ああ、皇帝、ですか。今日起こった出来事が、なんだかまだ信じられません」
「ええ、本当に」
そして、暫くの沈黙。
先程の騒ぎがまるで夢か幻想であったかのように、廊下はひっそりかんと静まりかえっている。そこここで見かけられた兵士は今や跡形もなく、貴族や使用人の姿もまばらであることから、上からの次の指示がまだ全てに行き渡ってはいないように思われる。
アベルとセリカは部屋を出ると、先刻覗き見を行った階段を王族の血縁者が住まう三階へと上り、規則正しく配置された窓から入り込む、沈みつつある太陽の残り明かりを頼りに、セリカの部屋を目指していた。この城の三階以上の造りは二階以下と違い、廊下が部屋と部屋の間を通っていないゆえに片壁に窓が取り付けられており、夕刻になってもそこから窓外の天然灯を頼りにすることが、一応できるのだ。
しかし、いくら日が沈むと一切の明かりを有さない階下から蜀台係が火付けを開始するからといって、この時間帯のこの三階で、視界が暗いため、現在廊下のどのあたりを歩いているのかを曲がり角までの距離で測ることができないなどということは、過去にあった記憶がない。
カツカツカツ。
普段は気にもならない足音が、やけに大きく響いて感じられる。
黙っていると今日起こった非日常的な出来事がまじまじと思い出され、客観的なものに感じるような好奇心と、その中に隠しておきたい先々のことを思う一片の不安とが一気に襲いかかって来る。
「ねえアベル、やっぱり私、気になるわ。言っても誰も信じるとは思わないけど、ちょっとでも自分の知らない情報を提供してくれる人がいるなら、詳しくお話を聞いてみたい!」
初めにその沈黙を破ったのはセリカであった。駄目で元々と、向き直ったアベルの方向へ詰め寄り、胸の前で両手を握り締めて訴えかけてみる。
「ふう、やはりセリカ様もですか」
「! ってことは」
「はい、実は僕もです」
そんな彼女に、アベルは苦笑を浮かべつつ軽くうなずいてみせた。
セリカが一瞬驚いたように間を置いたのは、自分たちの興味が合うことこそ珍しくはないが、意見まで合致することは滅多にないからであろう。その滅多にない機会にあたって、彼女の表情は既に嬉々としたものへと変わっている。
「やっぱりね、うんうんっ。ねぇ、あの時ビクトールが言ったことは、聞き間違えなんかじゃないわよね? それに本当に本当な本当のことなのよね? そうだとしたらあそこにいた皆も私たちのように気になっているのかしら? ねえ、アベルはどう思う!?」
セリカはアベルに、自分の興味の対象を相手にも肯定してほしい、とでも言わんばかりに、拳を握り締め目を輝かせて返答を促した。
アベルはやはり苦笑しながらも、恐らくセリカの望みどおりであろう返事をした。
「あの状況ではビクトール様の会話対象であった少年ぐらいにしか届いてはいないと思いますが……少なくとも僕は、セリカ様と同じ単語を、しかと聞き留めました。内容が内容なだけに、冷静な時に切り出しても信じる人はそういるとも思えませんが――そう、イゾルテ様たちのように――でも、あの慌てようはやはりただ事ではないように思います」
セリカが胸元でパシと両の手を組んだ。
「うん、かなり信憑性があると思うわ! そうじゃなかったら、いくら私だっておとぎ話をこんなに現実的に、身近に感じたりなんかしないんだから!」
「それはどうでしょうか……あ、いえ、何でも。とりあえず、先程おっしゃっていたとおりに“神の遺産”について僕らより知識のある人物にお話を伺いましょう」
「知識のある人物って……アベル、秘宝のことを知っている人がいるの!? 一体誰なの、それは!!」
興奮のあまりアベルの腕を掴みながらセリカが叫んだ。
「し、お静かにっ!」
アベルは慌てて口元に人差し指をたて、
「また不審者が現れたのかと思われてしまいますよ!」
と小声で釘をさす。
セリカもしまった、と辺りを見回したが、誰も出てくる気配がないのを確認した後で再び
「――で、誰なの、その人は?」
と尋ねなおした。声のトーンを落としてはいるが、顔全体が期待でいっぱいだということを表している。
「それはですね、僕の父アルバートです。小さい頃にはよくそのお話を聞かせてくれたものでした」
寝る前にその話をしてもらうのが大好きで、よくねだったものです、などとしみじみと続けるアベルに、
「えー、なーんだ〜」
と、セリカは全身でがっかり、を表すかのようにがくりとうなだれて、頬を膨らませて彼を見上げた。
「もう、そんなの私だってお母様やばあやに何度も聞かせてもらったわ。だから知っているんじゃない」
期待をして損したわ、と呟くセリカを苦笑しながら見返し、ふと自分たちの行く廊下の現在位置を思うと、いつの間にかに彼女の部屋のある棟への曲がり角まで辿り着いてしまっていた。セリカの部屋はこの棟の一番奥にある。アベルはそのまま多少早口で話し出した。
「いえいえ。それではセリカ様は、秘宝がどのような形をし、どこへ行けばその在り処の手がかりを得ることが出来るかご存知ですか?」
「そんなこと……全く分からないわ」
キョトンとして答えるセリカ。逆にアベルはそんな様子の彼女に微笑みかけながら告げる。
「父は、古い友人に秘宝のことを研究していた方がいるそうです。僕も幼かったことですし、詳しくは教えてくれませんでしたが、何かしら僕らの知りたい情報を持っていることは確かだと思います」
その話題に、好奇心旺盛なセリカはすぐさま顔を輝かせて飛びついてきた。
「それは本当!? ねえアベル、私をアルバートのところに連れて行って!」
「ええ、勿論です。ですが、まずは一旦お部屋の方へお戻り下さい。先の侵入者の件でまだ自室に戻っていない可能性もありますし、それに何分あちらの都合が分からないものですから。今晩、夕食の後にまた、そのことについて何か知っていることはないか、いつ都合が良いのかを報告にあがりますね」
「うん、分かったわ。よろしくねっ」
セリカが笑顔で納得すると、すぐ向こうに彼女の大きな部屋への入り口が見受けられたため、二人はそこでもう一度約束の確認をし、一時の別れをつげた。
* * *
(カツカツカツ……人のいない廊下はやけに足音が響くものだな)
アベルは今の今までセリカを送ってきた廊下を再び辿って、兵士の宿舎へと向かっている。
(そういえば、いつの間に廊下に灯がともったんだろう?)
脳内では何かしらを考えつつ他方へ視線を馳せ、階段を下り、長い廊下を過ぎ、宿舎と棟を結ぶ渡り廊下を一人行く。左右どちらを見ても既に人の群れは見当たらず、かわりに数人の兵が普段通りに自分の持ち場を見張っているのみである。
兵士の宿舎は城の主三連棟と比べると質素なつくりをしているが、それでも朝方おもむいた市場の辺りの建物と比べると随分と立派な装飾が施されていたり、頑丈そうな造りになっていたりと、城の一構成部分であることが表れていることに気づく。
アベルは渡り廊下の行き着く先、兵士たちの宿舎の入り口へと辿り着いた。そこには夜中以外随時開かれている大きな木製の黒い扉があり、彼は、いや、他の大部分のそこに暮らす兵士たちがそこをくぐる時、自分の家へと帰り着いた瞬間に感じる安堵を得るのだった。実質ここで生涯を過ごしてきた彼は、この宿舎を自分の“ホーム”と考えている。
「おいアベル、お前今までどこに行ってたんだ! 今しがたサンドル提督が剣技場にほとんどの一般騎士を招集させた時、いなかっただろう! しかも先輩が言うには、自室待機令が下されている最中にセリカ姫を連れまわしていたそうじゃないか! 何やってるんだ、危ないだろうが! 姫にもしものことがあったら、アベル、お前どう責任とるつもりだったんだ!?」
安堵のため息をついたのもつかの間、大声で、しかも早口にまくし立てられたので、アベルは面食らってしまった。
相手がそこまで一息のうちに言い切って、酸素を少しでも多く取り入れようと深呼吸をしているのを見てやっと、その人物と、彼の言っている内容とを理解した。
「姫様のことは……仕方がなかったんだよ、言い出したら聞かないんだから、本当。レオンだって知っているだろう? あの方の頑固さを」
まだ息荒くアベルを睨みつけている親友レオンに対し、「僕は何度も止めようとしたんだ」と念をおしたうえで、彼女を送ってきたことを告げる。
そしてレオンの呼吸が整うまでそのまま説明を繰り返していると、本舎ではしばらく見かけていなかった少年兵が数人、何事かと二人を見物しにきた。入り口ということもあって数人の出入りを見送ったが、やはり二人に注目して通り過ぎていった。居心地の悪いものを感じたが、それも馴れたものなので、とりあえず廊下の端へ寄り、心配そうな面持ちで問いかけた。
「それで、提督は何て? もしかしてまた緊急事態でも? ほとんどの兵を招集するくらいだから、さっきの侵入者が――」
「ふん、そんなんじゃないよ。いつもの偉そうな説教と、侵入者が捕まったから各自普段通りに過ごすことを許可するってだけだ」
口調はいつもどおりだが、先程よりやや不機嫌そうにそう言い放つと、レオンはくるりと踵を返し、自室の方へ去ってしまった。
アベルはその後ろ姿を間の抜けたように眺めながら、ふと彼の怒りが招集に応じなかったためではなく、命令に応じられなかった理由がセリカと一緒であったことにあるのだと気がついた。アベルにとって幼馴染であり、親友でもあるレオンは、自他共に広く認めるセリカファンである。
「おーっと、ついに穏やかな三角関係も終焉を迎えるのか――!?」
一人取り残されたアベルは、誰かのからかいのセリフとそれに沸く周囲の反応に、普段どおり、例にたがわず、苦笑した。