ガチャリ。
大分はげかけた金系色塗装のノブに手をかけ、それを下に捻って前方へ押し出すと、質素な飾りふちのある木製の扉は、難なくすっと口を開けた。父アルバートがいるのだ。
「ただいま、父さん、いる?」
鍵も開いているし、明かりもついている。彼がいないはずはないのだが、つい習慣的に確認をとりたくなってしまう。
城内とは違い、兵士の宿舎内の玄関から居間までの距離は短い。アベルが扉を閉め、玄関を入ってすぐ目に入る外套掛けフックの付いた壁に彼の白いマントを認めるや否や、
「アベルか、お帰り」
という、穏やかで優しく、しかしずしりとした声が返っていた。予想どおりとは言え、出迎えてくれる者がいるという喜びから仄かに口元が緩む。アベルは膝当ての金具を緩めながら、父のいる居間へと進んだ。
花も絵画も無く、家具も必要最低限しか置いていない、いかにも男親子の部屋といった風体の居間に入ると、血の繋がりこそ無いが、優しい父親と誇りある騎士団長の顔を合わせ持つ父アルバートが、嬉々として剣の手入れをしていた。
「ただいま」
アベルはアルバートの持ち上げた暖かな視線とぶつかると、もう一度笑顔でそう言った。
「そう言えばお前、セリカ様と一緒に侵入者見物の野次馬に混ざっていたそうじゃないか」
手にしていた大ぶりの剣を、部屋の中心辺りに据えてある四人用の、二人で使うには少々広めのテーブルに置き、向かいに座るように諭しながら、アルバートが尋ねてきた。彼は、窓側の、玄関から見て奥の席についており、アベルをしげしげと眺めながら低く落ち着きのある大人の声でもう一度「セリカ様、ね」と呟いた。顔には少年のような面白がっている風の笑みが浮かんでいる。
「はぁ、父さんまで知ってるんだ。参ったな、この調子じゃ人に会う度に言われ続けるんだろうなぁ。そうそう、姫様ってば城に誰かが侵入するなんて非常事態に、ここぞとばかりに目を輝かせちゃって……。とりあえずあまり大きなことにならなくて済んだから良いものの、もしものことも少しは考えていただきたいものですよ」
逆にアベルは全身で疲れた、という気配をあらわにしながら、すとんと着席して答えた。勿論、彼が嫌々セリカのおもりをしている訳ではないということは、そう言いつつも困ったような微笑を口元に浮かべている点から察することが出来る。
「もしもの時、ねぇ。まあ、侵入者は捕まって、姫も無事だったんだからそうしけるな」
「はあ、似たようなセリフを何度聞いたことやら」
アベルが眉間に拳固をあててうなだれ、アルバートが意地悪くにい、と笑った。こうやって親子二人でゆっくり顔を合わせる時間もあまりないため、彼らにとっては軽く愚痴や冗談をこぼし合うのもまた、団欒の形の一つとなっている。
「さて、と」
アルバートは言うと、テーブルに置いた剣の柄を慣れた手つきで掴み、最後の仕上げとして所々擦り切れたごわごわとした布で剣の全身を丁寧に磨き始めた。アベルはそんな彼の姿を、眉間に拳をあてたままの姿勢で黙って見つめていた。
慣れ親しんだ友に接するように剣を磨く父の素朴な姿は、この質素な部屋にもよく馴染んでいたが、それでもアベルには、名前だけの貴族の役人に与えるくらいならば、彼の部屋が城内にあっても良いだろうと思わずにはいられなかった。しかし、実際に彼にそう切り出してみたところ、今の部屋で二人一緒に暮らせると言うことを十分ありがたく思っていると返ってきて、彼の大きさと自分の小ささを再確認するという結果に落ち着いたのだった。
「よし、これでいいだろう」
視線の先でアルバートが満足げにそう言った。ロウソクの光を浴びた切っ先は、幾度かの修理を経験しているせいで決して新品には見えないが、持ち主の真摯な愛情のおかげでそこいらの売り物よりも輝いているようにアベルには感じられた。
「そうだ父さん、今日の夕飯時刻は前半、それとも後半?」
アルバートがすっかり磨き上げられた愛剣を鞘に戻してしまうと、アベルは別れ際にセリカと交わした約束を果たすべく問いかけた。
「ああ、今日は後半だ。お前は確か前半じゃなかったか?」
「うん、そっか、じゃあ一つ聞きたいことがあるんだけど……いいかな? まだ時間も少しあるし……」
アベルがしばし言いよどんでいると、
「ん、どうしたんだ改まって。まあいい、とりあえず言ってみろ」
と、アルバートはジェスチャーとともに話を促した。元来隠し事をするような関係は築かれていない。アベルはうん、と短く頷いた後、好奇心からの期待と、先程のイゾルテたちが示した反応を彼がまた示すことへの不安を抱いた表情で聞いた。
「ねえ父さん、突然だけど、いつだか“神の遺産”について知っているって言っていたよね? 確か、昔の知り合いにそれを研究していた人がいるとか……。もし良かったらその事について知っていることを教えて欲しいんだけど――」
するとアルバートは、一瞬であったがふと怪訝な顔をした。そして不思議そうに尋ねてくる。
「本当に突然だな。どうしたんだ一体? ……まあ、いたにはいたがな。だからと言って特に何を聞いたって訳でもないさ。何だ、もしかしてまた好奇心旺盛なお姫様に聞いてくるように言いつけられたのか?」
最後の質問はからかいのつもりで言ったのだろうが、アベルが困ったように曖昧に口どもって目を逸らすのを見て、アルバートは今度こそ訝しむように言った。
「まさかとは思うが……今回の事件と何か関係があることなのか?」
「……はい。実はさっき姫様といたというのは――勿論何度も反対はしんだけど、その……ビクトール様の会話を立ち聞きに行ったからで……。“神の遺産”は、ビクトール様が言った言葉なんだ」
「……そうか。お前、他にも何か知っていることがあるんじゃないか? あるのなら――言ってみろ」
アベルは嘘をつくことが出来なかった。
そこで、今日セリカと二人で見聞きした事件の関連事を、一部始終アルバートに話した。
アルバートは黙ってアベルの言葉に耳を傾けていたが、アベルが言い終わると、真剣な、騎士団長の面持ちで言った。
「夕食後、姫をここにお呼びしてきなさい」
アベルは彼から目を離すことも出来ず、慣れた自室の椅子に座っていることすら忘れ、緊張したままの姿で固まっていた。
それは、ただ一言「はい」と言うまで、しばらく解き放たれることはなかった。
* * *
城に住むものの食事は、基本的に身分ごとに異なっている。
王とその家族は夕食時のみ晩餐の間に集まる。長いテーブルの一端に王アイゼルホフ、隣に王妃エカチェリーナ。もう一端に第一王女のセレナ、その両隣に第二、第三王女のセリカとセーラが着き、礼儀作法を重んじた、一種の儀式めいた晩餐が執り行われるのである。
豪華で外見も中身も美味しい料理を前に、庶民が言う所の一家団欒とは程遠い、無言の時間を過ごすのだ。勿論セリカはそのような退屈には耐え切れず、今日あった出来事などを話し、王室作法指導係にしょっちゅうお叱りを受けている。それを見ては、両親に姉妹、そして各々の専属従者は皆口元を緩ませるのだった。そこにセリカの従者だけがいないのは、彼アベルだけが唯一の平民の身分であるからだ。
高官の貴族たちは、晩餐の間にあるような長テーブルを三つ並べた部屋に集まり、食事を挟んで今後の予定や反省の会議、または情報交換を行う。その他の身分の者は、大きな城内食堂を時間差で使用するのだった。
「さて、そろそろ行くか」
アベルはそう呟くと、一度戻ってきた部屋に鍵をかけ、セリカの部屋へと向かった。今日の夕食は前半だったので、セリカの豪華フルコースの晩餐が終わり、一息ついた頃を見計らって彼女の部屋を訪れることにしたのだ。
セリカの部屋に着くと、案の定、今まさに出発の準備が整った所、といつもどおりアベルの出現の正確さに感心している彼女に迎えられた。
期待どおりアルバートが承諾してくれたことを聞いたセリカは、楽しそうにアリーシャに手を振って部屋を出た。しかしきっと今日起こった出来事を全て聞かされているであろう当のアリーシャは、「いってらっしゃいませ」と穏やかに見送ってくれたが、その表情には一抹の不安の色が覗いていた。アベルだけはふとそれを見て取った。