■BACK 第1章 13 TOP
始まり 13

 その晩、城の住人が寝静まった頃。
 その人物は、月が雲の間から顔を出し、部屋の中を妖しく照らし始めると、まるでその時を見計らったかのように、ぱちりと目を覚ました。
 そして、その光に導かれるかのように、窓辺へと、ゆっくりとした動作で歩いていった。秋が春に取って代わろうとするこの時期特有の、しっとりとして肌寒い真夜中の空気の中を。
 冷気を帯びた空気は、夜空の月や星々の光を一層冴えさせている。
「美しい」
 その人物は、窓の外、遥か彼方に輝くそれらを見つめて、淡々と感想を述べた。
「……しかし、それだけだ」
 小さく、呟く。
 興味や関心の感じられない声。全くつまらないという響き。
 その人物は、高級そうな刺繍の施されたガウンの、内側に取り付けられた胸ポケットから、質素なデザインの小箱を取り出した。その人物には全く似つかわしくない、安価な小箱である。
 しかし彼は、その小箱を大事そうに取り出した後、愛おしそうに、両の掌に納まっているそれを見つめた。
 そして、その手にかかる重みと、動かす度に幽かに聞こえるジャリ、という金属音に満足したらしく、人知れず笑みをこぼした。
「ふん、手間をかけさせおって……。だが、最後に笑うのは、このワシだ」
 幽かに震える手で、再びガウンの内ポケットから、銀色のこれまたシンプルなデザインの鍵を取り出し、小箱をカチャリとくすぐった。
 中から顔を覗かせたのは、大粒の宝玉と黄金の鎖を持った、首飾りであった。白や灰色をした宝玉は不透明で、鈍い光沢はガラス質を思わせる。余程丁寧に扱われてきたのであろう、その首飾りには、傷や指紋一つ見当たらない。
 彼、ビクトールは、首飾りを箱に入れたまま、月の光にかざした。すると、不透明で白濁、鈍光であった宝玉は、緑から青、青から赤色へと幻想的に色を変え、水のように煌き、星や月より眩く輝き始めた。
「この世のものではないような、絶対的な美しさ。これが、本物だ。これが、“神の遺産”の輝きなのだ……!」
 ビクトールは恍惚として、その輝きを見つめ続けた。
「ふ……」
 彼の口から、空気が漏れた。
「クロムハイムの皇帝め、せいぜい偽物の輝きに心奪われるが良い。ふっ……ふふふ、ははは……!」
 空気音は声音となり、暗闇と静寂に響き渡った。
「本物の輝きを手に入れるのは、このわしだ。そう、世界を統べる力を手に入れるのは、このわしなのだ! 最後に神に微笑まれるのは、このわししかおらぬ!」
 ビクトールは笑い続けた。いつか自らを頂点たらしめよう宝玉を捧げ持って。
 月が雲に隠され、暗黒が再び世界を支配した。


*    *    *


 王の反応は、意外なものであった。
 即ち、アベル同行でのセリカの秘宝探しの旅と、獄中の少年――名をトーマという――の解放に、すんなりと許可を下ろしたのだ。
「なんだか、拍子抜けしちゃったわね」
 王の私室からの帰還途中に、セリカは、傍らを歩くアベルに向かって言った。父を説得させる気満々であった彼女は、すぐに承諾してしまった父に面食らったらしく、喜ぶことも出来ずに現在に至っている。
「……はい。ですが、良いお返事をいただけたのですから、良かったではないですか」
 そう言うアベルの表情は、笑ってはいるものの、何か思案しているそれであった。
 アベルの言葉にセリカは「それもそうね」と顔を明るくし、出発は早い方が良いとの事で、荷物の整理をしに部屋へと向かった。まずは秘宝に縁のある場所へと向かう事にした彼らは、秘宝伝説の発祥の地、ソロモン神聖王国を最初の目的地に決めた。幸運にも、明日が月二度の定期旅客隊の出発日であり、急遽旅支度を整える事としたのだ。
 セリカと笑顔で分かれた後も、アベルは一人、王の態度に思いを巡らせていた。
(あれはいくらなんでも、あっさりとしすぎていた。セリカ様は、娘に甘いからと仰っていたけれど、甘いとか甘くないの問題ではないよな……)
 少年の件については、思ったとおりであった。
 しかし、問題なのは、セリカの旅立ちについてである。
 一度国の外へ出てしまえば、一切の加護が得られなくなる。要するに、非常に危険なのだ。
 それにもかかわらず、王族が単独国外へ、しかも得体の知れないモノを求めて旅立つというのに、どうして一つ返事で済まされてしまったのだろうか。
(嫌な予感がする)
 アベルの思案は、徐々に不安へと変わっていった。

 そして、一夜が明けた。
 今、アベルとセリカは城門を潜ろうとしている。
 よく晴れ渡った秋の朝の空は真っ青に澄んでいる。少し冷たい北の風も爽やかで、二人の門出を見守るかのように、清々しく吹き抜けていった。
 多くの者には秘密のこの旅立ち。
 見送りに来ているのは、わずかにアリーシャとアルバートの二人のみ。
 それでも、アベルとセリカは今日の旅立ちを躊躇わない。
 アベルは、この旅立ちを告げた時から怒って目も合わせてくれないレオンが、そしてセリカは、家族で唯一旅立ちを知る父親がこの場にいない事を残念に思ったが、それでも引き返す事をしなかった。
「元気でな。気をつけて行くんだぞ」
 アルバートの穏やかで力強い励ましの声。
「無理をなさらないで下さいね。お二人のご無事を、いつでもお祈りしております」
 アリーシャの慈愛と心配の声。
 それらを受けて、アベルとセリカは力強く頷き、簡単な会話を済ませると、城に背を向けた。
 二人はもう振り向かなかった。
 そして、一歩ずつ前へと進んで行った。父や友人の温かな視線を受けて。
 二人は歩き出した。
 まだ見ぬ新たな世界へ、未知への希望を胸に抱き、一抹の不安を心の隅に押し込めて。
 この先に何が起こるかを知る者は、誰もいない。

第一章 完

update : 2007 5/2
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