■BACK 第1章 12 ■NEXT TOP
始まり 12

 馴染みのある地下一階までの階段を下り、更に下へと続く階段を下っていく。
 地下牢は、日の光も入らない名前どおりの地下、それもその目的である、囚人を捕らえておくためだけに、セリカの部屋がある棟の、地下二階につくられたものだった。
 勿論、普段一般人とかかわりがあるような場所ではないため、アベルはそわそわとしながら、興味深げに前を行くセリカの後ろ姿を見守っていた。
 暗い。
 地下二階に到着しての第一感想である。今まで数メートル間隔で灯されていたろうそくの明かりが、この階に下り立った途端に大きく距離を置くようになり、漆黒の闇の中にぼうっと浮かび上がる光が、これから向かう場所への不気味な案内役となった。
 廊下を歩むごとに不気味さが増していく。
 アベルは、またも面倒ごとに巻き込まれるのでは、と募る不安から、幾度かセリカに引き返すよう勧めたが、彼女の好奇心もまた増していたので、結局看守を上手く丸め込んで、中にまで入ることとなった。

 牢の中は、廊下よりも更に暗かった。しかも、湿気が多く、ひんやりとして地上よりも寒い。アベルは、寒さに強く薄着をしていたセリカが、両腕で体を抱くようにさすっていることに気づいた。さっとマントを外し、彼女にくるまるようにと手渡す。セリカは笑顔でそれを受け取った。
「足元にお気をつけ下さい。それと、先ほどの侵入者は本来面会謝絶の身なのですから、なるべく早くお戻りになられますよう。叱られるのは、我々なのですから」
 そう言いつつ心配そうにランプを手渡す看守に、アベルは数度はい、と答えた。
 アベルとセリカは、看守室前の三段階段の下に広がる監房――囚人たちの居室を、階上で足を止めて見据えた。狭い通路を挟んで、独房または数人用の鉄格子張りの小部屋が、左右対称に、手前から軽度犯罪者、奥には重度犯罪者という様に並んでいる、と背中から看守が説明してくれた。
(話に聞く黄泉へ続く道ってやつは、こういう感じではないだろうか?)
 アベルがそのような疑いを持ちたくなるくらい、牢の仕切り毎に設置された、ろうそくの不気味な二列の光は、果てのない闇へと吸い込まれるかの如く続いている。
 ふぅ、という吐息と共にセリカが動き出した。ランプを持ったアベルは、慌てて彼女の横に並び、前方を照らす。
 数歩して、二人は意外なことに気がついた。
 こんな場所に長時間いては気が狂ってしまうだろう、とアベルは考えたものだったが、通路を通り過ぎる際に、もの珍しげに格子の方へと身を乗り出す囚人たちの表情からは、死への絶望など微塵も感じられなかった。それどころか、牢の中に殆ど人の姿が見受けられさえしなかった。よく考えれば、それもそのはず、オパールは“平和”だったのだ。

 牢の中の風景にも慣れ、規則正しく備えられていると思われたろうそくに、短くなりすぎ、火のついていない箇所を見つけられるようになるまで二十秒ほど。どこまでも続いているように思われた黄泉への道標が、パッと途切れてしまっていることに気がついた。遠くから見ると、闇に飲まれてしまっているようなこの光も、壁でこれ以上先がないために、途切れているだけだと分かる。この地下牢は、自分たちの想像していたものより、大分狭いのだ。
 アベルとセリカは、目の慣れた辺りから無意識に歩が早まっていたため、間もなく突き当たりの壁に到達した。最奥の十数室には、侵入者の少年ただ一人しか入っていなかった。――そう、重罪人など他にはいなかったのだ。
 ランプに照らされて輪郭を現した少年の顔は、あの後兵士たちにやられたのであろう、痣と擦り傷と切り傷を残して腫れ上がり、黒みがかった深緑の古いマントはずたずたの、本物のぼろ雑巾と化していた。突き当たりの右の独房で、奥の壁に死者のようにぐったりと寄りかかっていた少年が、二人の存在を確認するように目だけを僅かに動かした。そのような姿になっていても、鋭く睨みつける双眸は強い光をたたえている、意志ある生者のものであった。
 少年の瞳は、そのたぎる気持ちを直接心に語りかけてきた。それを見たアベルは不安と警戒に眉を歪め、セリカは何かに気づいたようにはっとなって半歩後ずさり、胸の前で両手をきつく握った。風がないためにか、重い沈黙の空気は数分と晴れなかった。
「痛い?」
 ゆっくりと、セリカが風を吹き込んだ。その声は多少震えていたが、彼女独自の飾らない温かさが含まれていた。少年は答えなかった。
「――って、当たり前よね。そんなに怪我を負わされていれば」
 そう言うとセリカは、なるべく少年を不安にさせないよう気をつけながら牢に近づき、ゆるりとした動作で膝をついた。アベルもすぐさまそれに習い、彼女の隣に寄り添って膝をつく。
 少年はしばらく二人を睨みつけていたが、ふと視線を落としてそのまま動かなかった。動けないだけかもしれない。しかしその様子を見たセリカは、少年に話を聞く意志があると解釈したらしく、少し口元を緩めた。
「私はこの国の王女で、ううん、だからここに来たわけじゃないわ、私の独断と意志よ。私は第二王女セリカ、で、こちらは騎士のアベル」
 セリカとアベルは、少年に向かって軽く会釈をした。少年は動かない。
「突然訪ねて来て不躾なことを言ってしまうけど、私は、いいえ、私たち城の住人のほとんどは――お父様も含めて、今回あなたが欲したものが何かを知らなかったの。それどころか、それが国家間に渡る大切なもので、しかもビクトール、さっきの大臣が、お父様の名を勝手に使って交渉を進めていたなんて、全く知らなかった……」
「セリカ様……」
 目線を下げたセリカにアベルが心配の瞳を向ける。少年の頭が微かに動いた。
「大丈夫よ、アベル。そう、だから、どういう経緯があってあなたが城に侵入したかも分からなくて、知る権利も機会も与えられていなかったのだけど、今あなたを見て気がついたの。私には、あなたに謝る権利と務めがあるって! もしもあの時私がベクトールを止められていたら、あなたはこんな目に遭わなくてすんだのだから! 力のない、形だけの王権だけど、私はあなたに王女として謝ります、理由も問わずにこのような仕打ちをしてしまった非礼を――そして、私自身好奇心を持ってここまでやってきてしまた非礼を! ごめんなさいっ!」
 セリカはそこまで言うと、深く頭を垂れた。押し寄せる波のような感情を抑えきれないといったように。拳は膝元で固く握られ、肩は小さくわなないている。
 アベルもそれを見守った後、彼女に倣った。
 そんな二人から目を外した少年は、初めて小さく呟いた。
「あれは……父ちゃんの形見だ」
 その呟きに、二人ははっとして顔を上げた。声変わり途中の不安定な声だった。
「国家がどうのなんて、貧乏なオイラは知らねぇし、興味もねぇ」
 言葉遣いや内容からして、主に街壁近くに居を構えている下層の出なのだろう。セリカがバッと鉄格子に手をかけつつ、相槌をうった。
「う、うん! さっきそれを聞いてあなたに会ってみたいと思ったのよ!」
 しかしそれは、相槌に留まらなかった。
「こんなに大きな危険を冒したのだから、形見を取り戻したいっていうのが嘘のわけないわ。うん、私は信じてる! でも、ビクトールは、あの箱の中身が“神の遺産”だって言っていたわ。一体なぜ、あなたのお父様の形見が“神の遺産”だと思ったのかしら? それに、どうして質屋から買ったなんて言ったのかしら? お願いっ。あなたの知っていることを話してほしいの!」
 つい今しがたまで王女として振舞っていた少女が、早口に、表情をころころと変えつつ懇願をしてくる、という異様な光景に、少年は困惑したようだった。
 見ているだけで痛々しい彼の姿をようやく正面から見据えることができたアベルは、
「まぁまぁ、セリカ様落ち着いて。お話より先に、その傷を治してさしあげて下さい」
と、少年、続いてセリカに向き直って穏やかに言った。
 するとセリカは、あ、という顔になって、
「いけないいけない。ごめんね、私ったらつい、あなたが心を開きかけてくれたことが嬉しくって、興奮しちゃった」
と言い、舌を出して照れ笑いをした。
「ねえ、もう少しこちらに来てくれる? 手だけでもいいから、こちらに伸ばしてほしいの」
「!?」
 少年はセリカの言葉の意味が理解できず、反射的に右手を横につき、のけ反るような体勢をとろうとした。が、手首を痛めているらしく、そのまま横に崩れた。
 声を殺し、肘を抱えてもがく彼に、セリカは心配そうに声をかけた。
「大丈夫!? ほら、早く手を貸して! 何も悪いことしないから。ね、何も持っていないでしょ?」
 セリカは空の手のひらをヒラヒラとさせて、危害を加えるつもりは無いことを示すと、その手を牢内に突っ込んだ。
 少年は痛そうに右肘を抱えたまま、いかにも怪訝な顔でその手を睨みつけていた。しかし、セリカは一向に引き下がろうとしないので、しぶしぶと汚れた傷だらけの指先を、そっと彼女の細い指先に重ねた。
 少年はそのままそっぽを向いてしまったが、セリカは満足げに微笑み、アベルはほっと一息をついた。
「!」
 間髪入れず、少年の声にならぬ声が聞えた。
「あんた……何を……」
 少年が落とした目線の先にある、もう一方の手の甲に、今の今まではっきりと刻まれていた傷が、徐々に薄れている。
 驚きのあまり、咄嗟にセリカに触れている指先を見ると、暖かな光の波動が、薄っすらと、しかし確かに彼女と自分を包み込んでいた。
 傷はゆっくりではあるが、確実に消えてきている。
 少年はセリカに手を預けたまま全身を見渡し、自分の傷が癒えてゆく感覚を見守っていた。
「私はね、人の傷を癒すことができるの。今ではほとんどいないみたいだけど、エイデルヴァイン家の特徴らしいわ」
 セリカはそう言うと少年に笑顔を向けた。そこではっとして顔を上げた少年の視線とぶつかる。彼は不満と驚愕で目を見開き、不自然に眉を歪ませながら、口の中で「なんだよ、それ」と呟いた。
「あ、皆には内緒よ。一応国家秘密ってことになっているから」
 少年の表情も気にせず、セリカはそう言うと、人差し指を口元にあてて、し、というポーズをとった。
 そこで少年はもう一度我を取り戻し、今度は二人に聞える声で疑問をぶつけた。
「なんで、なんでこんなことをするんだよ。どうせおいらはもうすぐ処刑されるんだ」
「なんでって、こんなに傷だらけの男の子を見て、放っておけるわけないじゃないのよ。ねぇ、アベル」
「はい。あなたは神の遺産のことは知らないとようですし、何よりまだ子どもです。本来ならこのような状態になって良いわけないのですから」
 少年は二人の言葉と表情から一瞬気を緩めたようだったが、またすぐに冷めた目をしてセリカの手を払って言った。
「……そんなことを言って、国家秘密を知られたからって処刑すんのに都合の良い理由をつけたんじゃないのか?」
「違うわ! そんなことをするわけないじゃない!」
 セリカは両手で鉄格子を掴んで主張した。
 少年は、セリカが怒りではなく悲痛そうな声をあげたためか、それきり反論せずに眉間にしわを刻んだ。
「それならば、彼を解放なさってはいかがでしょう?」
「えっ?」
 穏やかにとんでもないことを言うアベルの方を、二人が同時に振り向いた。
「そ、そんなことできるわけないだろ! 開放するつもりなら、わざわざこんなとこに閉じ込めてボコったりするわけないだろうが!」
「アベルが脱走を企てるなんて意外だわ……。でも、やるのなら私も頑張るわ! ビクトールが冷酷無比で私たちの言うことを聞いてくれない以上、私たちでなんとかしないとね!」
 それぞれの主張を口々にする少年とセリカに苦笑しつつ、アベルがたしなめる。
「ま、まぁ、お二人とも。とりあえず聞いてくださいよ」
 アベルは両の掌を二人の方にそれぞれ向け、まあまあと上下に小さく振る。そして、真面目な面持ちで続けた。
「ビクトール様は今日、王の名を勝手に使ってとんでもない交渉をしたのですよ。しかもそのことが王にばれてしまった。きっと今までもそのようにしてきたのでしょう。ですからきっと、あの方は今、王に顔向けしがたい状況にあるのです」
「……そうね。王が国家の象徴といっても、解職令が会議で通ればビクトールを追い出すこともできるものね」
「そのとおりです」
 アベルが声をひそめる。
「しかし、今回の事件の真相を知る者はほとんどいません。ということは、ビクトール様は、一般の城の住人からは『侵入者から城を守った英雄』に見えることでしょう。王は混乱を防ぐために今回の件を公にしないでしょうし。そうなると、ビクトール様はけじめをつけるという名目で、侵入者であるあなたを処刑することを考えるはずです」
 アベルは少年の方を向いた。少年は体をびくっと強張らせた。分かってはいても、他人の口から処刑という単語を聞き、おそろしく不安になったようだ。セリカが小さく「そんなのって」と呟いた。
 しかしアベルは小声ではっきりと言う。
「ですが、もしその侵入者がビクトール様に不満をもっていた王の使者であるとしたら、どうでしょうか」
「え?」
「彼を処刑してしまうことは、王の不満をかき立てることになります」
「あっ」
 ふと明るい表情になるセリカ。アベルはそのまま続ける。
「もし王が彼をご自身の使者として下さり、“今回の件を口外無用にするのなら、開放する”という約束を承って下さるのなら――ビクトール様に手出しはできないと思います」
「アベル!」
 セリカが目を輝かせて叫んだ。娘には結構甘いのよ、と少年に微笑みかけ、胸の前で両手を組んだ。アベルもまた少年に穏やかな笑みを向けた。少年は黙ってその笑顔を見つめ返していた。そして、ゆっくりと脱力し、小さく安堵の息をついた。
 傷は癒えてしまったのだ。



update : 2005 7/2 〜 2006 12/10
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