ビクトールの部屋の扉は階段のある空間を出て右へ七メートルほどの場所にある。彼はその前におり、王は彼の前に立ちふさがるように、それぞれ位置づいている。護衛の兵は彼らを挟むようにして背を向けて、つまり一人はアベルたちのいる方向を向いて立っていた。その様子を見た二人が慌てて階段の方へ顔を引っ込めたため、どうやら兵士はこちらに気がつかなかった様子。顔を見合わせるアベルとセリカ。二人の顔に緊張が走る。
「これはどういうことか、説明してもらおうか」
静かだが力強い口調でセリカの父、オパール国王が言い放った。どうやら話は始まったばかりらしい。静まり返った廊下に、その声はよく響いた。廊下を覗くことはできないけれど、集中すればしっかりと聞き取ることが出来るくらいに。きっと今王の表情は厳しいことに違いない。
「召使には侵入者は一人と聞いたのだが……聞き間違えであったか。このような警備が敷かれているとなると、数人、いやもう少し多勢での犯行を見込まれているようだな。それとも……」
「おぉ、我が王よ、流石はこの国を統べるべく生まれた天性の……あ、い、いえ、実は――」
「何だ、実は、何があるというのだ?」
王に睨まれたためか、明らかに世辞ととれる言い訳を辞め、口ごもるビクトール。そんな彼に王は先程より少し声のボリュームを落として続ける。アベルたちには聞き取ることが出来たが、近隣の部屋も大臣たちのであり、聞き耳を警戒してのことであろう。しかし、声に感じる威厳は失われていなかった。逆にビクトールの声が擦れているように感じられた。
「そ……それがですね、はい。あー、私の、アレで――」
「アレ、とは?」
「あ、いえですね、個人的な趣味で調べているものがありまして……。その一つを一月ほど前に得ることが出来ましてね、それはそれは必死の思いで……それをどこから嗅ぎ着いてきたのか――ああ、もしやあの時か。町に行って人と杯を交わしたのは確か……、おお、そう言えばあの会合でも洩らしたことが――」
「ビクトール」
「あ、ははっ!」
自分の世界に浸りそうになっていた彼は、慌てて軌道修正にかかった。
「と、どこまで話したか――そうです、その代物を是非我がものに、という方が現れましてな、良い交換条件を頂いたものでお受けすることに致した次第でございます。侵入者と言うのは、それを狙う不逞な輩だと踏んでおります……はい」
そこまで話を聞き終えた王は怪訝な顔をした……だろう。アベルたちには見えないが、次の言葉にそれが現れていた。
「今の話を信じるとなれば、まずこの騒ぎはお前の所持品を巡る個人的な――いや、私利私欲のために引き起こされたと考えなければならないが。……つまり、お前は私情で城中の人間を動かしたということか」
怪訝な中にも最後には納得したような含む王の言葉に、ビクトールは大袈裟に首を横に振って叫んだ。
「ま、まさか! 滅相もございません! 私はただもう、国のことを思い、国の安全を守りたい一心で、このように皆を……あっ――!」
急に言葉を切った後、「しまった!」と聞こえたような気も、する。
「国の、安全だと……?」
明らかに怒気の篭った、言い訳を許さぬ強い口調。口ごもり視線を逸らして後悔を悔いる彼に、王は容赦をしなかった。
「あ、いえ、はあ……」
「目を逸らすか。それでは先の言葉が私の聞き誤りではないということを示している、と判断しかねないな……。ビクトール、お前は何を手に入れて、誰と、どのような交渉をするつもりであったのか?」
「そ……それは――!」
アベルが、セリカが、そこにいた誰もが息を呑んだ瞬間であった。
ところが。
「ビクトール様ー! それに国王陛下もご一緒で!」
ビクトールが口を開きかけたであろうその時、アベルたちとは逆の方向から突如として現れ、息を切らせて走り来る兵士の一声がそれを遮った。
「申し上げます! 只今、防御林入り口の警備に当たっている兵より早馬で伝言を預かって参りました!」
急な兵の登場に、その場にいた誰もが驚いた。アベルたちもこっそりと廊下を覗き見る。すると先程までこちらを向いていた護衛兵も、伝令の兵に向き直っている。
ビクトールは皆の意識が反れたこの一瞬で、奥歯をギリリと噛み合わせた。額には焦燥の汗が滲み、それは全てが彼の見込み通りにはならなかったことを示していた。
「何と?」
王が冷静に尋ねた。
「はい、隣国クロムハイム帝国の皇帝陛下直属の使いの方々が、こちらに着き次第交渉を始めたいとのことです!」
まだ少し息が上がっているが、伝言を終え、仄かに安堵の表情を浮かべている伝令兵。
「……そうか、お前はもう下がって良いぞ」
どこか力なく、しかし王への対応とは打って変わった、いつもそうしているような威圧を含んだ声でビクトールが言った。
「は! 失礼致しました!」
走り寄って来る時には緊張やら何やらで出来なかった敬礼をし、伝令兵は速やかに立ち去った。皆の向ける視線の重さが、彼に届くことはなかった。
重大事実を運んできた伝令の兵が去った廊下。
そこにに残ったのは、笑顔を忘れてから随分と経ってしまったような重い空気と緊迫感だった。
侵入者、外務大臣ビクトール、秘密の交渉――それに、隣国の皇帝。
平穏しか知らぬ者たちにとって、それは予期せぬ出来事であった。
無論、これが後に世界を動かすきっかけとなった事など――。